うさやまじょう

宇佐山城

全国の城近畿・滋賀県
宇佐山城
写真: 投稿者が撮影 /Public domain /Wikimedia Commons

滋賀県大津市にあった山城。森可成が築き、宇佐山城の戦いで浅井・朝倉軍と戦った。

歴史

宇佐山城は、滋賀県大津市にあった山城で、近江神宮の西方、標高約330メートルの宇佐山の山頂に築かれた。文献上の初見は、1570年3月20日の『多聞院日記』で、京都から大津に通じる二本の道が閉鎖されていたのは、森可成が、新城を築いたためだという。

1570年9月、摂津で野田・福島の戦いが起き、織田軍の主力が投入されている間に、浅井・朝倉連合軍は、信長の背後を突くべく、動き出した。9月16日に、3万の連合軍が坂本口に進軍すると、城主の森可成は、1000の兵で、宇佐山城を下り、坂本の町はずれで戦った。緒戦では、優位に立ったが、9月19日に、石山本願寺の顕如の要請を受けた、延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、翌日、さらに膨らんだ連合軍が、再度侵攻した。森可成は、先陣として戦って、討ち死にした。

連合軍は、同日、宇佐山城の攻城に取りかかったが、城兵の抵抗にあって、落城は免れた。代わりに、大津の馬場、松本を放火し、翌日は、山科まで焼き払った。のち、明智光秀が、宇佐山城に入り、さらに、坂本城を築いて移ったため、宇佐山城は、廃城となった。

年表

  • 1570年森可成が宇佐山城を築く
  • 1570年宇佐山城の戦い。森可成が討ち死にする(9月)
  • 1571年明智光秀が坂本城を築き、宇佐山城は廃城となる

歴代城主

  1. 1570〜1570
    森可成

    織田信長の家臣。宇佐山城を築き、討ち死にした

  2. 1570〜
    明智光秀

    可成の死後、宇佐山城に入った

見どころ

  • 宇佐山城の戦い
  • 近江神宮の近く

出典