滋賀県彦根市にあった山城。石田三成の居城で、関ヶ原の戦い後に落城した。
歴史
佐和山城は、滋賀県彦根市の佐和山にあった山城である。鎌倉時代に、近江守護職で、佐々木荘地頭だった、佐々木定綱の六男、佐保時綱が築いた砦が始まりとされる。応仁の乱の後は、六角氏が犬上郡を支配し、家臣を城主に置いた。戦国時代の後半に、六角氏の勢力が衰えると、新興勢力の浅井氏が伸張し、佐和山城は、浅井氏の支配下に入った。
元亀年間には、城主の磯野員昌が、織田信長らと、8か月におよぶ戦いを繰り広げたが、1571年2月に降伏し、代わって織田氏の家臣、丹羽長秀が入った。1582年の本能寺の変の後の清洲会議では、堀秀政に与えられた。のち、豊臣秀吉の時代に、石田三成が入り、19万石の居城とした。三成は、城を大きく整えたと伝わる。
1600年の関ヶ原の戦いのあと、佐和山城は、東軍の攻撃を受けて落城した。続いて、井伊直政が、入城し、のち、彦根城の築城に伴い、廃城となった。佐和山城の石垣や資材は、彦根城の建築に転用されたと伝わる。
年表
- 鎌倉時代佐保時綱が、砦を築いたとされる
- 1571年磯野員昌が降伏し、丹羽長秀が入る
- 1600年関ヶ原の戦いのあと、落城する
- 江戸時代初め彦根城の築城に伴い、廃城となる
歴代城主
- 〜1571磯野員昌
浅井氏の家臣。織田信長と8か月戦った
- 1571〜1582丹羽長秀
信長の家臣。城主となった
- 1595〜1600石田三成
豊臣政権の五奉行。19万石で入った
- 1600〜1602井伊直政
関ヶ原の戦い後に、入城した
井伊氏の家系図 →
見どころ
- 石田三成ゆかりの城
- 彦根城に転用された資材
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「佐和山城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Sawayama Castle taken from the car window of JR Biwako Line bounded for Maibara.jpg(Umeyou / CC BY-SA 3.0)





