みやづじょう

宮津城

全国の城近畿・京都府
宮津城
写真: 投稿者がファイル作成 /Public domain /Wikimedia Commons

京都府宮津市にあった城。細川藤孝が丹後経営の拠点として築いた。

歴史

宮津城は、京都府宮津市にあった城で、宮津は、国府のあった、古代から丹後の中心であった。この付近には、一色氏の本拠があり、いたるところに、支城や砦が築かれていた。1579年(天正7年)ごろ、織田信長の命で、丹後を平定した細川藤孝(長岡藤孝)は、一色氏の宮津八幡山城に石垣を施し、山麓に居所と家臣の屋敷を集めて、当初の本拠としたが、信長の命により、明智光秀の指図を受けて、海岸に、新たに宮津城を築いた。藤孝は、宮津城を、丹後経営の中心とした。

しかし、藤孝は、1582年の本能寺の変のとき、明智家との非協力を内外に示すため、出家し、幽斎と称して、田辺城に隠居した。宮津城には、子の細川忠興が入った。関ヶ原の戦いのあと、細川家は、豊前に転封された。

江戸時代には、京極氏が入り、のち、松平(本庄)氏が、明治まで、宮津藩主を務めた。城は、明治になって取り壊され、現在は、石垣や堀の跡が、わずかに残る。

年表

  • 1579年細川藤孝が、宮津城を築き、丹後経営の中心とする
  • 1582年藤孝が出家して幽斎と称し、田辺城に隠居する
  • 1600年関ヶ原の戦いのあと、細川氏が豊前に転封される

歴代城主

  1. 1579〜1582
    細川藤孝(幽斎)

    宮津城を築き、丹後を経営した

  2. 1582〜1600
    細川忠興

    藤孝の子。宮津城を継いだ

    細川氏の家系図 →
  3. 1758〜1871
    松平(本庄)氏

    江戸時代の後半に、明治まで宮津藩主を務めた

見どころ

  • 宮津の城下町
  • 由良川と海の景観

地図

出典

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