京都府京都市伏見区にあった城。淀藩の藩庁で、鳥羽・伏見の戦いの舞台の一つ。
歴史
淀城は、京都府京都市伏見区にあった平城で、江戸時代に、淀藩の藩庁となった。豊臣秀吉が、側室の茶々(淀殿)に与えたという、淀城は、別の城(旧淀城)である。
1623年8月に、2代将軍・徳川秀忠の命で、松平定綱が、3万5000石で、淀藩に入った。城郭は、1625年にほぼ完成し、翌1626年6月には、大御所の秀忠が、8月には、征夷大将軍の徳川家光が、淀城の縄張りを調べに来城した。1633年に、松平定綱が、美濃に移封されると、永井尚政が、10万石で入り、城下町の拡張と、侍屋敷の造営が行われた。
その後、石川氏、戸田氏、1717年には、松平乗邑が6万石で入り、続く稲葉氏が、明治まで、藩主を務めた。幕末の鳥羽・伏見の戦いで、旧幕府軍は、敗れたのち、淀城に籠もろうとしたが、淀藩に拒まれた。淀城は、伏見城の廃城後、京都南方の守護の拠点として期待された城であった。
淀藩の廃藩に伴い、早くに廃城となり、巨椋池の干拓で地形が変わり、本丸の一部を除いて、ほぼ破壊された。2022年2月28日には、京都競馬場の淀寮内で、城跡が発見された。
年表
- 1623年松平定綱が、3万5000石で、淀藩に入る
- 1625年城郭が、ほぼ完成する
- 1633年永井尚政が、10万石で入る
- 1868年鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍が、淀城への入城を拒まれる
- 2022年京都競馬場の敷地内で、城跡が発見される
歴代城主
- 1623〜1633松平定綱
淀藩の初代藩主。城を築いた
- 1633〜1668永井尚政
10万石で入り、城下町を拡張した
- 1723〜1871稲葉氏
明治まで、淀藩主を務めた
見どころ
- 石垣と堀の跡
- 旧淀城との違い
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「淀城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 淀城天守跡.jpg(不明 / CC BY-SA 3.0)




