京都府京都市伏見区にあった城。豊臣秀吉が築き、関ヶ原の前哨戦の舞台となった。
歴史
伏見城は、京都府京都市伏見区にあった城で、豊臣秀吉が築いた。原形は、1591年に、秀吉が関白の位と、京都における政庁、聚楽第を、豊臣秀次に譲った際に、自らの隠居所として、伏見の地に造らせた屋敷とされる。
1593年に、明との講和交渉が動き始め、明の使節を迎えて日本の国威を示す目的と、同年8月に、拾丸(豊臣秀頼)が生まれ、拾丸に大坂城を譲る必要から、伏見に、隠居屋敷を超える城を築く計画が具体化した。築城は、1594年から本格的に始まり、普請奉行に佐久間政実が任じられた。城下町の整備も同時に行われた。
1596年閏7月に、慶長伏見地震で、指月の伏見城は倒壊した。秀吉は、ただちに、木幡山に、新たな城を築いた。1598年に、秀吉が、この城で没した。1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いでは、徳川家康の家臣、鳥居元忠が、少数の兵で籠城し、西軍の大軍と戦って、討ち死にした。
1619年に、伏見城は、廃城となった。建物の一部は、江戸城や福山城などに、移築されたという。現在の天守風の建物は、1964年に建てられた模擬天守である。「桃山時代」の名は、伏見城の跡地が、のちに桃畑になったことに由来する。
年表
- 1591年秀吉が、隠居所として、伏見に屋敷を造らせる
- 1594年伏見城の築城が、本格的に始まる
- 1596年慶長伏見地震で、指月の伏見城が倒壊し、木幡山に新城が築かれる
- 1598年豊臣秀吉が、伏見城で没する
- 1600年伏見城の戦い。鳥居元忠が討ち死にする
- 1619年廃城となる
歴代城主
- 1591〜1598豊臣秀吉
伏見城を築き、この城で没した
- 1600〜1600鳥居元忠
徳川家康の家臣。伏見城で、討ち死にした
見どころ
- 模擬天守(伏見桃山城)
- 桃山時代の名称の由来
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「伏見城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: FushimiCastle.JPG(Thomas vanierschot / Public domain)





