京都府大山崎町にあった城。山崎の戦いのあと、羽柴秀吉が天下取りの拠点にした城。
歴史
山崎城は、京都府大山崎町にあった山城で、天王山の山頂近くにあった。史料上の初見は、室町時代の軍忠状で、「山城の国山崎警固」の記述が見える。大山崎は、京都の西の入口にあたり、桂川・宇治川・木津川の三川が合流する要衝である。
1582年6月に、本能寺の変のあと、中国大返しで、中国地方から畿内に引き返してきた羽柴秀吉は、神戸信孝らと連合し、明智光秀を迎え撃つため、男山城とともに、山崎城に陣取った。この戦いを、山崎の戦いと呼び、光秀は、秀吉軍に敗れた。戦いのあと、秀吉は、山崎に、新たな城を築いた。
清洲会議で、長浜城を柴田勝家に譲り、秀吉の城は姫路城のみとなっていたため、秀吉は、「山城・丹波両国のどこかに、城を築きたい」として、山崎宝寺の上に、城を構えたという。しかし、秀吉は、のち、大坂城に移ったため、山崎城は、まもなく廃された。
年表
- 1582年山崎の戦い。羽柴秀吉が、明智光秀を破る
- 1582年秀吉が、山崎に新たな城を築く
- 1583年秀吉が、大坂城に移り、山崎城は廃される
歴代城主
- 1582〜羽柴秀吉
山崎の戦いのあと、新たに城を築いた
- 〜1582明智光秀
山崎の戦いで、秀吉に敗れた
見どころ
- 天王山
- 山崎の戦いの古戦場
出典
- Wikipedia「山崎城 (山城国)」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Yamazakijo04.jpg(投稿者が撮影 / Public domain)
