熊本県苓北町にあった城。天草・島原の乱の舞台となり、天領時代に破却された。
歴史
富岡城は、熊本県苓北町にあった城で、天草の北西の、海に突き出た半島に築かれた。1600年に、天草郡を含む肥後南部を領していた小西行長は、関ヶ原の戦いで西軍に参陣して敗れ、所領は没収された。翌1601年に、肥前唐津の寺沢広高が、天草を領し、富岡城を築いた。
1637年10月28日に、藩による重税とキリシタン迫害に堪えかねていた、天草の領民は、数日前に代官を殺害した島原の領民に呼応して、蜂起した(天草・島原の乱)。一揆勢は、富岡城を攻めたが、城代の三宅重利らが、これを退けた。
乱の後、天草郡4万2千石は、山崎家治に与えられ、備中の成羽城から入城して、富岡藩が成立した。家治は、入封すると、城の改修に着手した。1641年以後は、1664年まで、天領となった。初代の代官、鈴木重成は、天草郡の石高4万2千石は過分であると、幕府に訴え、石高を半減させた。
1664年に、三河の田原城から、戸田忠昌が、2万1千石で入城して、再び富岡藩が立藩された。忠昌は、城の維持管理が、領民に負担を強いていることに疑問を感じ、城の破却を幕府に願い出て、1670年に、破城が行われた。翌1671年に、忠昌は、「天草は永久に天領であるべき地」と主張して、認められた。1868年には、天草県となり、1871年には、八代県に編入された。
年表
- 1601年寺沢広高が、富岡城を築く
- 1637年天草・島原の乱。一揆勢が、富岡城を攻める
- 1664年戸田忠昌が、富岡藩を再び立藩する
- 1670年破城が行われる
- 1871年八代県に編入される
歴代城主
- 1601〜1633寺沢広高
唐津藩主。富岡城を築いた
- 1638〜1641山崎家治
富岡藩の初代藩主。乱の後に、入った
- 1664〜1671戸田忠昌
富岡藩主。城の破却を、願い出た
- 1641〜1653鈴木重成
天領時代の初代代官
見どころ
- 天草・島原の乱の戦場
- 海に突き出た城山
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「富岡城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Tomioka Castle 01.jpg(Taken by YAPON(ja:利用者:YAPON) / CC BY-SA 3.0)




