静岡県藤枝市にあった城。家康が最後に鯛の天ぷらを食べた地とも言われる。
歴史
田中城は、静岡県藤枝市にあった平城で、1537年に、駿河の今川氏によって築かれた。1570年正月に、武田信玄に攻め落とされ、馬場信春が改修した。この際に、名前が「田中城」に改められ、武田家臣の山県昌景が入城した。城は、円形の縄張りを持ち、「亀甲城」とも呼ばれた。
1582年に、織田信長の甲州征伐の際、徳川勢に攻められたが、城将の依田信蕃が、頑強に抵抗し、主家の武田勝頼が死んだのちまで、守り抜いた。1590年に、徳川家が関東に移されたのちは、駿府城主の中村一忠の管轄となった。1601年には、酒井忠利が、田中藩主となり、城域の拡張や、藤枝宿の城下町への取り込みを行った。
1616年1月に、徳川家康は、田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供された、鯛の天ぷらを食べたという。これが、家康の死因となったという説もある。1730年に、本多正矩が4万石で入封し、以後、明治維新まで、本多氏が、藩主を務めた。1868年に、最後の田中藩主、本多正訥が、安房長尾藩に移封された。
年表
- 1537年今川氏が、田中城を築く
- 1570年武田信玄が攻め落とし、馬場信春が改修する
- 1582年依田信蕃が、城を守り抜く
- 1601年酒井忠利が、田中藩主となる
- 1730年本多正矩が入封し、以後、本多氏が明治まで続く
歴代城主
- 1570〜山県昌景
武田家臣。改修後の城に入った
- 1601〜1627酒井忠利
田中藩主。城域を拡張した
- 1730〜1868本多氏
明治維新まで、田中藩主を務めた
見どころ
- 円形の縄張り
- 藤枝宿の城下町
出典
- Wikipedia「田中城 (駿河国)」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01