静岡県浜松市にあった城。武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
歴史
二俣城は、静岡県浜松市天竜区にあった城で、天竜川と二俣川の合流点に位置し、水運に恵まれた地であった。信濃側から見れば、山間部から遠州平野への入口にあたる。戦国時代の初め、遠江をめぐって今川氏と斯波氏が争った際に、今川氏が拠点とするため、城館を築いたのが、始まりといわれる。
1572年10月に、武田信玄が、大軍を率いて、信濃から遠江に侵攻し、武田勝頼を大将とする軍が、二俣城を攻撃した。徳川方にとって、二俣城の落城は、本拠、浜松城の危機を意味した。二俣城の落城で、武田軍は、遠州平野に入り、浜松城を無視して西進した。これに業を煮やした家康が、浜松城から出撃し、12月23日に、三方ヶ原の戦いで大敗した。
のち、二俣城には、信濃先方衆の依田信蕃が、城主として入った。家康は、信玄の死後、直ちに遠江・三河の武田の諸城を攻撃し、二俣城も、1573年に攻められて、開城した。
年表
- 1572年武田軍の攻撃で、二俣城が落城する。三方ヶ原の戦いのきっかけとなる
- 1573年徳川家康が攻め、開城する
歴代城主
- 〜1573依田信蕃
武田方の城主
- 1573〜徳川家康
二俣城を攻めた
徳川氏の家系図 →
見どころ
- 天竜川と二俣川の合流点
- 清瀧寺の墓所
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「二俣城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: FutamataC Tenshudai.jpg(不明 / CC BY-SA 3.0)





