福岡県福岡市・久山町にあった山城。立花宗茂が島津軍を退けた城。
歴史
立花山城は、福岡県福岡市と久山町にまたがる、立花山にあった山城である。1330年に、豊後国守護、大友貞宗の次男、大友貞載が築き、この地に拠ったことから、立花氏を称するようになった。港町博多を見下ろす、非常に重要な位置にあり、博多の支配拠点であった。
戦国末期の1586年7月末には、当時20歳の立花統虎(のちの立花宗茂)が、この城に籠もり、実父の高橋紹運の岩屋城を落とした、島津勢約4万の攻撃を退けた。統虎は、島津軍を退けて、島津軍が撤退するまで、城を守り抜いた。
豊臣秀吉の九州征伐の後、立花氏は、筑後国の柳川城へ移封となり、立花山城には、小早川隆景が入城した。城としての機能よりも、経済的な意義が求められ、のち、隆景は、名島城に移った。立花山城は、廃された。福岡城の石垣は、主に、立花山城の石垣を移築して作られた。現在は、山頂の本丸跡に、わずかな石垣跡と、古井戸跡が、残るのみである。
年表
- 1330年大友貞載が、築城したとされる
- 1586年立花統虎(宗茂)が、島津軍の攻撃を退ける
- 1587年九州征伐のあと、立花氏が柳川に移り、小早川隆景が入る
歴代城主
- 1330〜大友貞載
築城したとされる。この地に拠り、立花氏を称した
- 〜1585立花道雪
立花城主。大友氏の名将
- 1585〜1587立花統虎(宗茂)
島津軍4万の攻撃を、少数で退けた
- 1587〜小早川隆景
九州征伐後に、城主となった
毛利氏の家系図 →
見どころ
- 立花宗茂の籠城
- 福岡城への石垣移築
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「立花山城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Tachibana Castle Ruins(Summit of Mt.Tachibana).jpg(Heartoftheworld / CC BY-SA 4.0)




