福岡県柳川市にあった城。蒲池氏、立花氏らの居城で、水路を巡らした水城として知られた。
歴史
柳川城は、福岡県柳川市にあった城で、掘割を巡らせた水城として知られた。936年頃の、藤原純友の乱のとき、大宰権帥の橘公頼が築いた砦が、起源とされるが、これは伝承で、はっきりしない。
戦国時代には、蒲池氏の居城となった。蒲池鎮漣が城主のとき、龍造寺隆信や鍋島直茂が、2万の兵で柳川城を攻めたが、落とせなかった。のち、蒲池氏が滅亡すると、蒲池氏時代の造作が、引き継がれた。
豊臣秀吉の九州征伐のあと、立花道雪の養子、立花宗茂が、筑後南部13万石の城主となり、秀吉に仕えた。1600年の関ヶ原の戦いで、西軍だった宗茂は、領地を失い、田中吉政が、筑後一国32万5000石を許されて、柳川城主となった。吉政は、筑後の府にふさわしく、城を大改修し、城下に堀割を整えた。のち、立花宗茂は、1620年に柳川に復帰し、以後、立花氏が、明治まで柳川藩主を務めた。
1872年に、火災で、天守などを焼失した。現在は、本丸跡に、学校などがあり、堀割が、往時の面影を伝える。
年表
- 戦国時代蒲池氏の居城となる。龍造寺氏・鍋島氏の攻撃を退ける
- 1587年立花宗茂が、筑後南部13万石の城主となる
- 1600年関ヶ原の戦いのあと、田中吉政が城主となる
- 1620年立花宗茂が柳川に復帰する
- 1872年火災で、天守などを焼失する
歴代城主
- 〜1581蒲池鎮漣
蒲池氏の当主。龍造寺氏らの攻撃を退けた
- 1587〜1600立花宗茂
関ヶ原の戦いで、西軍について、領地を失った
- 1600〜1609田中吉政
筑後一国32万5000石で入り、城を大改修した
- 1620〜1871立花氏
明治まで、柳川藩主を務めた
見どころ
- 掘割の城下町
- 立花氏庭園(御花)
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「柳川城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Yanagawa Castle01s5s3200.jpg(663highland / CC BY 2.5)





