やながわじょう

柳川城

柳川城
写真: 663highland /CC BY 2.5 /Wikimedia Commons

福岡県柳川市にあった城。蒲池氏、立花氏らの居城で、水路を巡らした水城として知られた。

歴史

柳川城は、福岡県柳川市にあった城で、掘割を巡らせた水城として知られた。936年頃の、藤原純友の乱のとき、大宰権帥の橘公頼が築いた砦が、起源とされるが、これは伝承で、はっきりしない。

戦国時代には、蒲池氏の居城となった。蒲池鎮漣が城主のとき、龍造寺隆信や鍋島直茂が、2万の兵で柳川城を攻めたが、落とせなかった。のち、蒲池氏が滅亡すると、蒲池氏時代の造作が、引き継がれた。

豊臣秀吉の九州征伐のあと、立花道雪の養子、立花宗茂が、筑後南部13万石の城主となり、秀吉に仕えた。1600年の関ヶ原の戦いで、西軍だった宗茂は、領地を失い、田中吉政が、筑後一国32万5000石を許されて、柳川城主となった。吉政は、筑後の府にふさわしく、城を大改修し、城下に堀割を整えた。のち、立花宗茂は、1620年に柳川に復帰し、以後、立花氏が、明治まで柳川藩主を務めた。

1872年に、火災で、天守などを焼失した。現在は、本丸跡に、学校などがあり、堀割が、往時の面影を伝える。

年表

  • 戦国時代蒲池氏の居城となる。龍造寺氏・鍋島氏の攻撃を退ける
  • 1587年立花宗茂が、筑後南部13万石の城主となる
  • 1600年関ヶ原の戦いのあと、田中吉政が城主となる
  • 1620年立花宗茂が柳川に復帰する
  • 1872年火災で、天守などを焼失する

歴代城主

  1. 〜1581
    蒲池鎮漣

    蒲池氏の当主。龍造寺氏らの攻撃を退けた

  2. 1587〜1600
    立花宗茂

    関ヶ原の戦いで、西軍について、領地を失った

  3. 1600〜1609
    田中吉政

    筑後一国32万5000石で入り、城を大改修した

  4. 1620〜1871
    立花氏

    明治まで、柳川藩主を務めた

見どころ

  • 掘割の城下町
  • 立花氏庭園(御花)

地図

出典

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