ひめじじょう

姫路城

日本100名城 No.59国宝世界遺産近畿・兵庫県
姫路城
写真: Nikos Kitsakis /CC BY-SA 4.0 /Wikimedia Commons

兵庫県姫路市にある、白漆喰の外観から「白鷺城」の名で親しまれる城。江戸時代初期の姿をほぼそのまま残す天守群は国宝で、1993年に日本初の世界文化遺産の一つとして登録された。

歴史

姫路の姫山に城が築かれたのは南北朝時代のことで、1346年に播磨の守護・赤松氏の一族が山上の寺を麓に移して城としたのが始まりとされる。以後は小寺氏が城代を務め、戦国時代には家臣の黒田氏が預かった。黒田官兵衛(孝高)が城代となった頃には、赤松軍の攻撃を少数の兵で退けたと伝わる。

転機は1580年頃に訪れる。織田信長の命で中国攻めを進めた羽柴(豊臣)秀吉が播磨を平定すると、官兵衛の進言を受けて姫路城を居城とし、大規模な改修に乗り出した。石垣で城を囲み、天守(三層と伝わる)を築き、南には城下町を整えて、姫路を播磨の中心にした。秀吉が大坂城へ移った後は弟の秀長や木下家定が入った。

関ヶ原の戦い後の1600年、徳川家康の女婿・池田輝政が播磨52万石の主として入城する。西国の豊臣恩顧の大名をにらむ役目を負った輝政は、1601年から約8年をかけて城域を大きく広げ、現在の天守群につながる姿をつくった。1617年に池田氏が鳥取へ移ると、本多忠政が入り、千姫が嫁いだ本多忠刻の化粧料で西の丸が整えられて、城はほぼ完成した。

江戸時代を通じて城主は本多・榊原・松平・酒井と入れ替わり、1749年に酒井氏が入ってようやく安定した。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは、老中を務めた藩主が旧幕府側だったため、姫路は新政府軍に包囲されたが、家老らが開城を決めて、戦火を免れた。

明治になると城は陸軍の管理下に置かれ、老朽化から取り壊しの話も出たが、保存が決まり、1910年から翌年にかけて「明治の大修理」が行われた。昭和には史跡や旧国宝に指定され、1934年に始まる「昭和の大修理」で大天守は全解体された。太平洋戦争末期の姫路空襲では城下が焼けたが、天守群は奇跡的に焼失を免れた。1993年に日本で初めての世界遺産(文化遺産)に登録され、2009年から2015年の「平成の大修理」で白い漆喰の壁がよみがえった。

年表

  • 1346年赤松氏の一族が姫山に築城し、姫山城とする
  • 1441年嘉吉の乱で赤松氏が没落し、城代の小寺氏らも討たれる
  • 1580年羽柴秀吉が播磨を平定。姫路城を居城として大改修を始める(〜1581)
  • 1583年秀吉が大坂城へ移り、弟の豊臣秀長が入城する
  • 1600年関ヶ原の戦いの後、池田輝政が播磨52万石で入城する
  • 1601年輝政による大改修が始まる(約8年)。現在の天守群の基礎ができる
  • 1617年池田氏が鳥取へ移り、本多忠政が入城する
  • 1618年千姫の化粧料で西の丸が整備され、城の全容がほぼ完成する
  • 1749年酒井氏が入城し、藩主家が安定する
  • 1868年鳥羽・伏見の戦い後、新政府軍に包囲されるが、開城して戦火を免れる
  • 1910年明治の大修理(〜1911)
  • 1934年昭和の大修理が始まる(〜1964)。大天守は1956年から全解体して修理
  • 1945年姫路空襲。城下は焼けたが、天守群は焼失を免れる
  • 1993年日本初の世界文化遺産の一つに登録される
  • 2009年平成の大修理(〜2015)で大天守の漆喰壁などを修復

見どころ

  • 連立式天守(大天守と3つの小天守を渡櫓で結ぶ)
  • 白漆喰総塗籠の外観
  • 迷路のように折れ曲がる登城路と多数の門

地図

この城をめぐる歴史

ゆかりの家系

出典

NEARBY

近くの城