やしまじょう

屋嶋城

全国の城国の史跡四国・香川県
屋嶋城
写真: 屋嶋の仙人 /CC BY-SA 4.0 /Wikimedia Commons

香川県高松市の屋島にあった、古代の山城。白村江の敗戦後、大和朝廷が瀬戸内の防衛のために築いた。

歴史

屋嶋城(屋島城)は、香川県高松市の屋島にあった、古代の山城である。白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷は、日本の防衛のために、対馬から畿内に至る要衝に、さまざまな防御施設を築いた。瀬戸内海の島にも築かれたのが、この屋嶋城で、『日本書紀』の667年の条に、高安城、対馬の金田城とともに、築いた記事が見える。

屋島は、江戸時代までは、陸から離れた島であったが、塩田開発と干拓により、のちに、陸続きになった。屋嶋城は、南北の嶺の山上全域が、城跡とされ、山上の外周7キロメートルのほとんどが、断崖である。南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に、城壁が築かれた。浦生(うろ)の集落の海岸から、谷筋を登ると、山上に通じる道があり、標高100メートルの山中には、谷を塞いだ、長さ約47メートル、基底部の幅約9メートルの石塁が、築かれている。

屋嶋城は、二重の防御の城で、浦生地区の遺構は、進入路を塞ぐ、遮断城で、大野城と水城、鬼ノ城と水城状遺構と、同じ類のものとされる。屋島は、1185年の源平合戦の屋島の戦いの舞台としても知られる。

年表

  • 663年白村江の戦いで、日本が唐・新羅連合軍に敗れる
  • 667年『日本書紀』に、屋嶋城の築城が記される
  • 1185年源平合戦、屋島の戦いが起こる(屋島全体の歴史)

歴代城主

  1. 667〜
    大和朝廷

    白村江の敗戦後、瀬戸内の防衛のために、築かせた

見どころ

  • 屋嶋城の石塁
  • 源平合戦の屋島

地図

出典

NEARBY

近くの城