なかむらじょう

中村城

全国の城県指定史跡四国・高知県
中村城
写真: Satoshin /CC BY-SA 3.0 /Wikimedia Commons

高知県四万十市にあった城。土佐一条氏の居城で、「土佐の小京都」中村の礎。

歴史

中村城は、高知県四万十市にあった城で、土佐の西部、幡多荘の中心である。応仁の乱を避けて、京都から下向した、公家の一条教房が、荘園の幡多荘であった中村に、そのまま土着した。もともと、この地にいた豪族の為松氏が、家老として取り立てられた。以後、一条氏は、土佐一条氏として、この地を治め、京都の文化を移して、中村を「土佐の小京都」にした。

のち、代替わりした一条兼定のとき、兼定は、豊後に追放され、その後、一条家は、長宗我部元親に攻められて滅亡した(1575年、四万十川の戦い)。1574年には、吉良親貞が城主になったが、2年後に死去した。

関ヶ原の戦いのあと、戦功により、山内一豊に土佐一国が与えられると、一豊の弟、康豊が入城して、修築した。しかし、元和の一国一城令に伴い、城は廃された。城は、西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望できる、標高約70メートルの丘陵に築かれ、東城、為末城、中ノ森などの曲輪で構成されていた。

年表

  • 応仁の乱一条教房が、中村に下向し、土着する
  • 1575年長宗我部元親に攻められ、一条氏が滅亡する
  • 1600年山内一豊の弟・康豊が入城し、修築する
  • 1615年一国一城令で、廃城となる

歴代城主

  1. 1468〜1480
    一条教房

    応仁の乱を避け、京都から下向した

  2. 〜1573
    一条兼定

    豊後に追放された。のち、一条家は滅亡した

  3. 1600〜1615
    山内康豊

    山内一豊の弟。修築した

見どころ

  • 土佐の小京都
  • 四万十川の眺め

出典