埼玉県吉見町にあった城。武蔵国の要衝として、関東の諸勢力が争奪した。
歴史
武蔵松山城は、埼玉県吉見町にあった城で、室町時代の1399年に、上田友直によって、本格的に築かれたとされる。いくつかの築城にまつわる伝説もあるが、これは伝説にすぎない。
室町時代から戦国時代にかけて、武蔵国の中原の要衝として、関東の諸勢力による激しい争奪戦が展開された。松山城を築いたと考えられる上田氏は、扇谷上杉氏に仕えた。北条氏の勢力が相模から武蔵に伸びてくると、扇谷上杉氏、山内上杉氏、古河公方の三勢力の間で、和睦が成立し、南から侵攻する北条氏に、対抗した。
1561年に、上杉謙信が奪取し、岩槻城主の太田資正を、城代とした。しかし、1563年に、北条氏康と武田信玄の連合軍の攻撃で、再び、城を失った(松山城の戦い)。1590年の小田原征伐では、豊臣方の軍勢に攻められて、開城した。以後、城は、廃された。
年表
- 1399年上田友直が、本格的に築城したとされる
- 1561年上杉謙信が奪取し、太田資正を城代とする
- 1563年北条氏康・武田信玄の連合軍に攻められ、落城する
- 1590年小田原征伐で、開城する
歴代城主
- 1399〜上田友直
築城したとされる
- 1561〜1563太田資正
上杉謙信に従い、城代を務めた
見どころ
- 吉見百穴の近く
- 空堀の遺構
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「松山城 (武蔵国)」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Musashi Matsuyama Castle.jpg(by Oregr / Public domain)





