愛知県清須市にあった城。織田信長の居城で、清洲会議の舞台。
歴史
清洲城(清須城)は、愛知県清須市にあった城で、1405年に、尾張・遠江・越前の守護で管領の斯波義重によって築かれたとされる(1375年とする説もある)。もとは、尾張の守護所である下津城の、押さえとして築かれた。
織田信秀が古渡城に拠点を移したのち、守護代の織田信友が清洲城に入ったが、1555年に、織田信長と結んだ織田信光によって、信友が殺害された。以後、信長が、那古野城から清洲城に移った。1560年の桶狭間の戦いの出陣も、この城から行われた。
1582年に、本能寺の変で、信長が倒れると、清洲城で、清洲会議が開かれ、城は、次男の織田信雄が相続した。1586年に、信雄は、二重の堀と、天守を備えた城に整備した。1600年の関ヶ原の戦いの際には、東軍の後方拠点として使われ、戦後は、福島正則が入ったが、まもなく、松平忠吉が入った。
1609年に、徳川家康が、清須から名古屋への遷府を指示し、翌1610年から、清須の城下町は、名古屋に移転した(清洲越し)。城は、廃された。現在の天守は、1989年に、模擬的に建てられたものである。
年表
- 1405年斯波義重が、築城したとされる
- 1555年織田信長が、那古野城から移る
- 1582年清洲会議が開かれる
- 1586年織田信雄が、天守などを整備する
- 1610年清洲越し。城下町が、名古屋に移される
歴代城主
- 1405〜斯波義重
築城したとされる
- 1555〜1563織田信長
居城とし、桶狭間へ出陣した
織田氏の家系図 → - 1582〜1590織田信雄
信長の次男。清洲会議で、相続した
織田氏の家系図 → - 1600〜1607福島正則
関ヶ原の戦い後の城主
見どころ
- 清洲会議の地
- 復興された天守
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「清洲城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 清洲城公園側からの清洲城.jpg(YTARMR / CC0)





