きつきじょう

杵築城

全国の城県指定史跡九州・沖縄・大分県
杵築城
写真: Heartoftheworld /CC BY-SA 3.0 /Wikimedia Commons

大分県杵築市にあった城。木付氏の城として築かれ、木付から杵築へ表記が改まった。

歴史

杵築城は、大分県杵築市にあった城で、もとは、木付城と呼ばれた。木付氏は、はじめ、鴨川の竹ノ尾に城(竹ノ尾城)を構えていたが、1394年に、木付頼直が、木付城を築いて、移った。

戦国時代に、島津氏の大軍に攻められたが、城主の木付鎮直が籠城して、抗戦の末、これを退けた。しかし、のちに、主君の大友義統が、文禄の役での失態を責められ、改易されると、木付氏も、没落した。木付を含む、豊後国は、豊臣家の蔵入地となって、前田玄以、宮部継潤が奉行を務めたのち、1596年に、杉原長房の所領となる。同年の地震(慶長豊後地震)で、城は被害を受けた。

関ヶ原の戦いのあと、細川忠興が、杵築6万石を得て入り、城の整備を進めた。天守は、1608年6月に、落雷で焼失したが、その後、再建された。1632年に、忠興の子・忠利が、熊本藩に移封されると、代わって小笠原忠知が入り、1645年には、松平英親(能見氏)が、豊後高田藩から移り、以後、能見松平氏が、明治まで、杵築藩主を務めた。

1712年に、幕府の朱印状に、「木付」と書くべきところが、「杵築」と記されていたため、幕府に伺いを立てた上で、「杵築」と表記するようになった。現在の天守は、1970年に、復興された、模擬天守である。

年表

  • 1394年木付頼直が、木付城を築く
  • 戦国時代木付鎮直が、島津氏の大軍を退ける
  • 1600年細川忠興が、杵築に入る
  • 1645年松平英親(能見氏)が入り、以後、明治まで続く
  • 1712年「木付」から「杵築」へと、表記が改まる

歴代城主

  1. 1394〜
    木付頼直

    木付城を築いた

  2. 〜1586
    木付鎮直

    島津氏の大軍を、籠城して退けた

  3. 1600〜1632
    細川忠興

    杵築6万石を得て、城を整備した

    細川氏の家系図 →
  4. 1645〜1871
    能見松平氏

    明治まで、杵築藩主を務めた

見どころ

  • 坂の城下町
  • 復興された天守

地図

出典

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