大分県杵築市にあった城。木付氏の城として築かれ、木付から杵築へ表記が改まった。
歴史
杵築城は、大分県杵築市にあった城で、もとは、木付城と呼ばれた。木付氏は、はじめ、鴨川の竹ノ尾に城(竹ノ尾城)を構えていたが、1394年に、木付頼直が、木付城を築いて、移った。
戦国時代に、島津氏の大軍に攻められたが、城主の木付鎮直が籠城して、抗戦の末、これを退けた。しかし、のちに、主君の大友義統が、文禄の役での失態を責められ、改易されると、木付氏も、没落した。木付を含む、豊後国は、豊臣家の蔵入地となって、前田玄以、宮部継潤が奉行を務めたのち、1596年に、杉原長房の所領となる。同年の地震(慶長豊後地震)で、城は被害を受けた。
関ヶ原の戦いのあと、細川忠興が、杵築6万石を得て入り、城の整備を進めた。天守は、1608年6月に、落雷で焼失したが、その後、再建された。1632年に、忠興の子・忠利が、熊本藩に移封されると、代わって小笠原忠知が入り、1645年には、松平英親(能見氏)が、豊後高田藩から移り、以後、能見松平氏が、明治まで、杵築藩主を務めた。
1712年に、幕府の朱印状に、「木付」と書くべきところが、「杵築」と記されていたため、幕府に伺いを立てた上で、「杵築」と表記するようになった。現在の天守は、1970年に、復興された、模擬天守である。
年表
- 1394年木付頼直が、木付城を築く
- 戦国時代木付鎮直が、島津氏の大軍を退ける
- 1600年細川忠興が、杵築に入る
- 1645年松平英親(能見氏)が入り、以後、明治まで続く
- 1712年「木付」から「杵築」へと、表記が改まる
歴代城主
- 1394〜木付頼直
木付城を築いた
- 〜1586木付鎮直
島津氏の大軍を、籠城して退けた
- 1600〜1632細川忠興
杵築6万石を得て、城を整備した
細川氏の家系図 → - 1645〜1871能見松平氏
明治まで、杵築藩主を務めた
見どころ
- 坂の城下町
- 復興された天守
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「杵築城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Kitsuki castle.jpg(Heartoftheworld / CC BY-SA 3.0)





