かねがさきじょう

金ヶ崎城

全国の城国の史跡中部・福井県
金ヶ崎城
写真: 立花左近 /CC BY-SA 3.0 /Wikimedia Commons

福井県敦賀市にあった山城。新田義貞の籠城と、織田信長の「金ヶ崎の退き口」で知られる。

歴史

金ヶ崎城は、福井県敦賀市にあった山城で、敦賀湾に突き出た、金ヶ崎の丘に築かれた。1336年に、足利尊氏の入京を受けて、恒良親王・尊良親王を奉じて北陸に下った新田義貞が、この城に入った。直後に、足利方の越前守護、斯波高経らの軍に包囲され、城は、飢えに苦しんだのち、翌1337年に落城した。義貞は脱出したが、尊良親王は自害し、恒良親王は捕らえられた。

戦国時代に、朝倉氏が越前を掌握してからは、朝倉一族の敦賀郡司が、この城を守った。1570年4月に、織田信長が越前の朝倉氏を攻めた際、郡司の朝倉景恒は、援軍が遅れたために、信長に開城した。しかし、近江の浅井長政が、信長に離反したため、信長は、挟撃される危険に陥り、急いで撤退した。この撤退戦を、「金ヶ崎の退き口」と呼び、殿を務めた木下藤吉郎(豊臣秀吉)らの働きで知られる。

城跡は、国の史跡に指定され、麓には、南北朝の悲劇を偲ぶ、金崎宮がある。

年表

  • 1336年新田義貞が、恒良親王・尊良親王を奉じて、入城する
  • 1337年足利方の攻撃で落城し、尊良親王が自害する
  • 1570年織田信長が朝倉氏を攻め、浅井長政の離反で撤退する(金ヶ崎の退き口)

歴代城主

  1. 1336〜1337
    新田義貞

    南朝方の武将。金ヶ崎城に籠城した

  2. 〜1570
    朝倉景恒

    朝倉一族の敦賀郡司。織田信長に、城を開いた

見どころ

  • 金ヶ崎の退き口
  • 金崎宮

地図

出典

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