福井県敦賀市にあった山城。新田義貞の籠城と、織田信長の「金ヶ崎の退き口」で知られる。
歴史
金ヶ崎城は、福井県敦賀市にあった山城で、敦賀湾に突き出た、金ヶ崎の丘に築かれた。1336年に、足利尊氏の入京を受けて、恒良親王・尊良親王を奉じて北陸に下った新田義貞が、この城に入った。直後に、足利方の越前守護、斯波高経らの軍に包囲され、城は、飢えに苦しんだのち、翌1337年に落城した。義貞は脱出したが、尊良親王は自害し、恒良親王は捕らえられた。
戦国時代に、朝倉氏が越前を掌握してからは、朝倉一族の敦賀郡司が、この城を守った。1570年4月に、織田信長が越前の朝倉氏を攻めた際、郡司の朝倉景恒は、援軍が遅れたために、信長に開城した。しかし、近江の浅井長政が、信長に離反したため、信長は、挟撃される危険に陥り、急いで撤退した。この撤退戦を、「金ヶ崎の退き口」と呼び、殿を務めた木下藤吉郎(豊臣秀吉)らの働きで知られる。
城跡は、国の史跡に指定され、麓には、南北朝の悲劇を偲ぶ、金崎宮がある。
年表
- 1336年新田義貞が、恒良親王・尊良親王を奉じて、入城する
- 1337年足利方の攻撃で落城し、尊良親王が自害する
- 1570年織田信長が朝倉氏を攻め、浅井長政の離反で撤退する(金ヶ崎の退き口)
歴代城主
- 1336〜1337新田義貞
南朝方の武将。金ヶ崎城に籠城した
- 〜1570朝倉景恒
朝倉一族の敦賀郡司。織田信長に、城を開いた
見どころ
- 金ヶ崎の退き口
- 金崎宮
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「金ヶ崎城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Kanegasaki Castle Site View from Tezutsu-yama.jpg(立花左近 / CC BY-SA 3.0)





