福島県猪苗代町にあった城。会津の重要な拠点で、亀ヶ城とも呼ばれた。
歴史
猪苗代城は、福島県猪苗代町にあった城で、猪苗代湖の北にあり、亀ヶ城とも呼ばれた。1189年の奥州合戦の戦功で、佐原義連は、会津4郡を与えられた。その子・盛連の長男、経連が、耶麻郡猪苗代を領して、猪苗代氏を称したと伝えられる。『会津温故拾要抄』などは、1191年に、経連が猪苗代八手山城を築き、亀ヶ城と称したとする。
猪苗代氏は、会津盆地を治めた蘆名氏と同族で、蘆名氏への反逆と従属を繰り返した。1589年の摺上原の戦いのとき、猪苗代盛国は、伊達政宗に内応して、蘆名氏の滅亡を導いた。
近世に入ると、会津の領主は、蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行と続き、猪苗代城は、会津領の重要な拠点として、江戸幕府の一国一城令の例外として存続が認められた。1598年に、上杉景勝が会津に移されると、1600年の春、水原親憲が福島城から移った。関ヶ原の戦いのあと、蒲生秀行が再び入ると、関一利が7500石で入った。
1643年に、保科正之が、会津藩主となると、猪苗代城には城代が置かれた。正之の死後は、城の北の土津神社に葬られた、その墓所を守るという、重要な役目も担った。
年表
- 1189年奥州合戦の戦功で、佐原義連が会津4郡を与えられる
- 1191年佐原経連が、猪苗代八手山城を築いたと伝わる
- 1589年摺上原の戦いで、猪苗代氏が伊達政宗に内応する
- 1598年上杉景勝が会津に移る。のち水原親憲が入る
- 1643年保科正之が会津藩主となり、城代が置かれる
歴代城主
- 〜1589猪苗代氏
佐原経連の子孫。城を居城とした
- 1600〜水原親憲
上杉氏の家臣。福島城から移った
- 〜1609関一利
蒲生秀行の家臣。7500石で入った
見どころ
- 亀ヶ城の名の由来
- 土津神社(保科正之の墓所)
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「猪苗代城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 猪苗代城跡.jpg(Qwert1234 at Japanese Wikipedia / CC BY-SA 4.0)




