大阪府河内長野市にあった山城。楠木正成が築いたとする伝承があり、戦国期には河内の要衝。
歴史
烏帽子形城は、大阪府河内長野市にあった山城で、1332年に、楠木正成が、上赤坂城の支城として築いたという伝承がある。南北朝時代には、主に南朝の楠木氏の城として、北朝の畠山氏との争奪の場となった。
戦国時代の天文年間には、楠木正季の子孫にあたる、甲斐庄氏の当主、隆成が、城主であったとされるが、確かではない。実際に確認できる城主として、弘治年間の碓井定純が、知られる。その後、三好氏と畠山氏の争いで、烏帽子形城は、三好氏の手に落ちた。
ルイス・フロイスの『日本史』によると、1582年の時点で、烏帽子形城には、三人の領主がいた。のち、烏帽子形城は、岸和田城主の中村一氏の支城となり、1584年には、豊臣秀吉の命で、紀州攻めの拠点として改築された。江戸時代の初めに、廃されたとされる。
年表
- 1332年楠木正成が、上赤坂城の支城として築いたという伝承がある
- 1582年フロイスの記録に、三人の領主が記される
- 1584年秀吉の命で、紀州攻めの拠点として改築される
歴代城主
- 1332〜楠木正成
築城の伝承がある
- 1555〜碓井定純
確認できる城主の一人
- 1584〜中村一氏
岸和田城主。支城として、烏帽子形城を用いた
見どころ
- 山城の遺構
- 復元された建物
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「烏帽子形城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: Eboshigata Castle, honmaru.jpg(Saigen Jiro / CC0)




