おおさかじょう

大阪城

日本100名城 No.54特別史跡重要文化財(大手門・櫓など)近畿・大阪府
大阪城
写真: 663highland /CC BY 2.5 /Wikimedia Commons

大阪府大阪市中央区にある、豊臣秀吉が築いた城として知られる。江戸時代に徳川幕府が再建した石垣が残り、現在の天守は昭和に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

歴史

大阪城のある上町台地の先端は、北に淀川が流れる天然の要害で、京都へ通じる交通の要衝でもあった。戦国時代の終わりには浄土真宗の石山本願寺があり、織田信長と10年にわたる石山合戦を戦って、1580年に講和のあと焼失した。信長はこの地に、さらに大きな城を築く構想を持っていたと伝わる。

本能寺の変のあと、1583年の賤ヶ岳の戦いに勝った羽柴(豊臣)秀吉が大坂を手に入れ、同じ年に築城を始めた。工事は四期に分けて進められ、本丸、二の丸、総構(三の丸)、馬出曲輪と大名屋敷が順に整えられた。石材は小豆島から運ばれ、加藤清正や細川忠興らが採石奉行を務めた。政庁としては京都の聚楽第や伏見城も使ったが、大名の年賀の挨拶は大坂城で受けたという。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て、豊臣氏は220万石から摂河泉65万石余の一大名になったが、遺児の秀頼は豪華な大坂城に居続けた。1614年の大坂冬の陣の講和では、総構・三の丸・二の丸の破却が決まり、城は内堀と本丸だけの姿になる。翌1615年の夏の陣で城は落ち、豊臣氏は滅んだ。

戦後、徳川幕府は豊臣の色を払い、1620年から約9年かけて城を築き直した。西国大名が動員され、現在の大阪城の石垣はこの時に積まれたものである。城主は将軍自身とされ、実際には譜代大名から選ばれた大坂城代が預かって、西日本支配の拠点とした。江戸時代には落雷による爆発や火災を三度経験している。1665年の落雷では、築いてから39年の天守が焼失した。

幕末の1868年、鳥羽・伏見の戦いで敗れた徳川慶喜が城を脱出すると、引き渡しの日に本丸御殿から出火し、城内のほとんどの建物が焼けた。明治以降は陸軍の用地となり、東側には巨大な砲兵工廠が置かれて、太平洋戦争末期の空襲の標的にもなった。

現在の天守は、1928年に始まった公園整備事業の一つとして、市民の寄付をもとに1931年に復興されたものである。戦後は1953年に城跡が史跡、1955年に特別史跡となり、1997年には天守の平成の大改修が終わった。近年は、地下に眠る豊臣時代の石垣を公開する「豊臣石垣館」が2025年に開館している。

年表

  • 1580年石山合戦の講和のあと、石山本願寺が焼失する
  • 1583年羽柴(豊臣)秀吉が大坂城の築城を始める
  • 1598年豊臣秀吉が死去。秀頼が城を継ぐ
  • 1614年大坂冬の陣。講和で総構・三の丸・二の丸を破却する
  • 1615年大坂夏の陣で落城し、豊臣氏が滅亡する
  • 1620年徳川幕府が大坂城の再築を始める(〜1629)
  • 1660年焔硝蔵に落雷し、大爆発が起きる
  • 1665年落雷で天守が焼失する
  • 1868年鳥羽・伏見の戦いののち、本丸御殿などが焼失する
  • 1931年市民の寄付で復興された天守が竣工する
  • 1945年大阪大空襲(8月14日)。城内の櫓の多くが焼失する
  • 1953年城跡が国の史跡に指定される(1955年に特別史跡)
  • 1997年天守の平成の大改修が完了する
  • 2025年「大阪城 豊臣石垣館」が開館する

見どころ

  • 巨石が用いられた桜門周辺の石垣
  • 内堀・外堀に囲まれた広大な城域
  • 天守閣からの大阪市街の眺め

地図

この城をめぐる歴史

出典

NEARBY

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