よこてじょう

横手城

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横手城
写真: mk4 /CC BY-SA 3.0 /Wikimedia Commons

秋田県横手市にあった城。もとは朝倉城と呼ばれ、戊辰戦争の戦場にもなった。

歴史

横手城は、秋田県横手市の朝倉山にあった城で、もとは朝倉城といい、横手城は、のちの俗称である。1554年に、小野寺景道が、朝倉山に築いたと伝えられる。戦国時代には、小野寺氏の配下だった横手氏・大和田氏・金沢氏が、この城を拠点に反抗したが、鎮圧された。城は、石垣を用いず、土居を削って崖とし、急斜面に韮(ニラ)を植えて敵兵が這い上がれないようにしたことから、「韮城」とも呼ばれた。

関ヶ原の戦いのとき、城主の小野寺義道は、上杉景勝に通じたことから、徳川家康に西軍方とみなされ、1601年に改易された。城は、一時、最上氏の手に渡り、その後、佐竹氏の領地となった。1622年には、江戸幕府の年寄で、宇都宮藩主だった本多正純が、宇都宮城釣天井事件で、この地に流罪となり、1637年に亡くなるまで過ごした。

幕末の1868年の戊辰戦争では、東北で佐竹氏だけが新政府軍側についたため、仙台藩と庄内藩の軍勢が、戸村義得(大学)の籠もる横手城を攻撃し、9月26日の夕方に、落城した。1871年に廃城となり、1879年には、戦死した22人の霊を慰めるため、焼け残った城の資材で、本丸跡に秋田神社が建立された。

もともと、横手城に天守はなかった。1965年に、郷土資料館と展望台を兼ねて、二の丸跡に、岡崎城をモデルにした模擬天守が建てられた。

年表

  • 1554年小野寺景道が、朝倉山に築いたと伝えられる
  • 1601年小野寺義道が、関ヶ原の戦いのあと改易される
  • 1622年本多正純が、宇都宮城釣天井事件でこの地に流罪となる
  • 1868年戊辰戦争で、仙台藩・庄内藩に攻められ落城する
  • 1871年廃城となる
  • 1965年模擬天守が建てられる

歴代城主

  1. 1554〜
    小野寺景道

    朝倉山に、築城したと伝えられる

  2. 〜1601
    小野寺義道

    関ヶ原の戦いのあと、改易された

  3. 1868〜
    戸村義得

    戊辰戦争で、横手城に籠もった

見どころ

  • 模擬天守の展望台
  • 秋田神社の桜

地図

出典

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