秋田県横手市にあった城。もとは朝倉城と呼ばれ、戊辰戦争の戦場にもなった。
歴史
横手城は、秋田県横手市の朝倉山にあった城で、もとは朝倉城といい、横手城は、のちの俗称である。1554年に、小野寺景道が、朝倉山に築いたと伝えられる。戦国時代には、小野寺氏の配下だった横手氏・大和田氏・金沢氏が、この城を拠点に反抗したが、鎮圧された。城は、石垣を用いず、土居を削って崖とし、急斜面に韮(ニラ)を植えて敵兵が這い上がれないようにしたことから、「韮城」とも呼ばれた。
関ヶ原の戦いのとき、城主の小野寺義道は、上杉景勝に通じたことから、徳川家康に西軍方とみなされ、1601年に改易された。城は、一時、最上氏の手に渡り、その後、佐竹氏の領地となった。1622年には、江戸幕府の年寄で、宇都宮藩主だった本多正純が、宇都宮城釣天井事件で、この地に流罪となり、1637年に亡くなるまで過ごした。
幕末の1868年の戊辰戦争では、東北で佐竹氏だけが新政府軍側についたため、仙台藩と庄内藩の軍勢が、戸村義得(大学)の籠もる横手城を攻撃し、9月26日の夕方に、落城した。1871年に廃城となり、1879年には、戦死した22人の霊を慰めるため、焼け残った城の資材で、本丸跡に秋田神社が建立された。
もともと、横手城に天守はなかった。1965年に、郷土資料館と展望台を兼ねて、二の丸跡に、岡崎城をモデルにした模擬天守が建てられた。
年表
- 1554年小野寺景道が、朝倉山に築いたと伝えられる
- 1601年小野寺義道が、関ヶ原の戦いのあと改易される
- 1622年本多正純が、宇都宮城釣天井事件でこの地に流罪となる
- 1868年戊辰戦争で、仙台藩・庄内藩に攻められ落城する
- 1871年廃城となる
- 1965年模擬天守が建てられる
歴代城主
- 1554〜小野寺景道
朝倉山に、築城したと伝えられる
- 〜1601小野寺義道
関ヶ原の戦いのあと、改易された
- 1868〜戸村義得
戊辰戦争で、横手城に籠もった
見どころ
- 模擬天守の展望台
- 秋田神社の桜
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「横手城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 横手城模擬天守.jpg(mk4 / CC BY-SA 3.0)





