神奈川県鎌倉市にあった城。北条氏の重要な支城で、堅城として知られた。
歴史
玉縄城は、神奈川県鎌倉市にあった平山城で、甘縄城とも呼ばれる。1512年に、伊勢盛時(北条早雲)によって築かれたとされる。それ以前から、砦か小城があった可能性も考えられている。相模の三浦氏と争った盛時は、鎌倉の入口にあたる、この地に城を築いて、三浦氏攻略の拠点とした。
北条氏の時代には、一門の重要人物が、城主に置かれた。初代の氏時は、1531年に急逝し、氏綱の実子・為昌が、2代城主となった。玉縄城は、堅城として知られ、1526年に、足利義明に呼応して、鎌倉に攻め入った里見義豊の軍勢を、撃退したとされる。
1590年の小田原征伐では、城主の北条氏勝は、山中城の守備についていたが、落城が迫り、責任をとって自害を考えた。しかし、弟の北条氏規らに説得され、降伏し、玉縄城も開城した。徳川氏の時代には、玉縄に、陣屋が置かれた。
城跡は、特別緑地保全地区として、緑が残る。
年表
- 1512年伊勢盛時(北条早雲)が、築いたとされる
- 1526年里見義豊の軍勢を、撃退したとされる
- 1590年小田原征伐で、北条氏勝が降伏し、開城する
歴代城主
- 1512〜1531北条氏時
初代城主。北条氏の一門
後北条氏の家系図 → - 1531〜1542北条為昌
氏綱の実子。2代城主
後北条氏の家系図 → - 〜1590北条氏勝
最後の北条氏の城主。降伏した
見どころ
- 城跡の緑地
- 鎌倉を守った要害
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「玉縄城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 太鼓郭下 堀切.jpg(つゆつき / CC BY-SA 4.0)





