福岡県太宰府市にあった山城。高橋紹運が島津軍に玉砕した城。
歴史
岩屋城は、福岡県太宰府市にあった山城で、天文年間(1532〜1554年)に、大友氏の武将、高橋鑑種が築いたと伝えられ、立花城とともに、大友氏の筑前支配の拠点であった。
1585年に、立花城主の立花道雪が死去すると、長男の統虎(のちの立花宗茂)が、道雪の養子として、立花城主となった。次男の統増は、高橋家の本城、宝満城に入った。実父の高橋紹運は、岩屋城にいた。
1586年7月、筑前一帯を平定し、関白秀吉の九州襲来を阻もうとした島津氏が、総勢2万にも及ぶ大軍で、岩屋城に攻め寄せた。紹運は、763人ともいわれる少数の兵で、半月ほど、籠城して、島津軍に多大な損害を与えたが、ついに落城し、紹運以下、全員が討ち死にした(岩屋城の戦い)。紹運が、高櫓の扉に書き残したとされる辞世は、「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」である。
城跡から、道を隔てた南西側には、高橋紹運の墓がある。
年表
- 1586年島津軍2万の攻撃を受け、高橋紹運以下が玉砕する(岩屋城の戦い)
歴代城主
- 高橋鑑種
大友氏の武将。築城したと伝えられる
- 〜1586高橋紹運
岩屋城の戦いで、島津軍と戦い、討ち死にした
見どころ
- 高橋紹運の辞世
- 岩屋城の戦い
出典
- Wikipedia「岩屋城 (筑前国)」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01