長野県飯山市にあった城。上杉謙信が北信濃の前線基地として築いた。
歴史
飯山城は、長野県飯山市にあった城で、千曲川の河畔に築かれた。1557年に、信濃に勢力を伸ばしていた甲斐の武田晴信(のちの信玄)が侵攻し、高梨政頼は、高梨氏館から、飯山城へと追われた。
1564年に、越後の上杉謙信が、信玄に対抗して、越後の防御と信濃攻略の前線基地として、飯山城を本格的に築いた。1578年に謙信が没すると、上杉景勝が跡を継ぎ、翌年、武田勝頼と甲越同盟を結んだ。その条項に従って、飯山城は、勝頼に渡された。
1582年に、織田信長の甲州征伐で、武田氏が滅亡すると、飯山城は、織田家臣の森長可の居城となったが、本能寺の変のあと、長可は逃れた。豊臣秀吉の家臣、石川光吉が、代官を務めたのち、1598年に、関一政が3万石で入封した。その後は、堀氏、佐久間氏、桜井松平氏、永井氏、青山氏と、城主が目まぐるしく替わり、1717年に、本多助芳が入封してからは、本多氏10代が、明治まで続いた。
1868年に、旧幕府軍の衝鋒隊の攻撃を受け、城下を焼かれた(飯山戦争)。城の建物は、廃藩後に、破却や焼失によって失われた。
年表
- 1557年武田晴信の侵攻で、高梨政頼が飯山城に追われる
- 1564年上杉謙信が、飯山城を本格的に築く
- 1582年森長可が、城主となる
- 1717年本多助芳が入封し、以後、本多氏が続く
- 1868年飯山戦争。城下が焼かれる
歴代城主
- 〜1557高梨政頼
北信濃の豪族。武田信玄の侵攻で、飯山城に逃れた
- 1564〜1578上杉謙信
飯山城を本格的に築いた
- 1717〜1871本多氏
明治まで、10代にわたり飯山藩主を務めた
見どころ
- 千曲川の眺め
- 城山公園
地図
出典
- Wikidata(座標)(CC0) / 取得日 2026-10-01
- Wikipedia「飯山城」(参照)(CC BY-SA 4.0) / 取得日 2026-10-01
- 写真: 飯山城1.jpg(前田左衛門佐 / Public domain)





